2013年3月17日日曜日

【海外報道】権力に真実を:日本メディア、国際メディアと3.11報道


The Asia-Pacific Journal 
In-depth critical analysis of the forces   shaping the Asia-Pacific...and the world  

The Asia-Pacific Journal, Vol 11, Issue 10, No. 3, March 11, 2013.
権力に真実を:日本メディア、国際メディアと3.11報道
Truth to Power:Japanese Media, International Media and 3.11 Reportage

 
デヴィッド・マクニール
David McNeill
福島の核危機から2年、二人のメディア専門家が、どうのように日本のメディアによって核の危機が伝えられたのかを精査する。上杉隆氏はフリーランスのジャーナリスト、『新聞・テレビはなぜ平気で「うそ」をつくのか』など、福島の危機に関する著作が数点ある。また、日本の記者クラブ制度とは別のありかたを提示することを企てる自由報道協会の創立メンバーのひとりである。伊藤守氏は早稲田大学「メディア文化論」担当教授であり、著書に『テレビは原発事故をどう伝えたのか』がある。
上杉さん、福島に関する見解を理由に、あなたがメディアに干されているというのは本当ですか?
わたしには2年前までテレビ、それにラジオにレギュラー番組が2本ありました。いまラジオのレギュラー番組はFM東京だけです。目下(レギュラー出演枠のあった)TBSラジオには出ていません。NHKや民間ネットに出演する望みはありません。以前はいくつものテレビ番組のレギュラーまたは準レギュラー出演者でしたが、いまはひとつもありません。ラジオ番組でもレギュラーのゲストでしたが、もうありません。
東京電力が描く明るい未来(月刊・東京電力
日本の電力会社はテレビの大口スポンサーです。このことに2年前に気づきました。その年、電力会社は広告費に700888億円を使い、700億円のパナソニック、500億円のトヨタより抜きんでていました。これは東京電力によるメディア買収に等しいとわたしが主張しはじめると、ラジオ番組の出演依頼が来なくなりました。
伊藤さん、あなたの調査についてお話しください。あなたが核危機のあと最初の一週間の日本におけるテレビ報道を調査なさると、反核の専門家で登場したのはたった一人だけだったことがわかったのですね。
そのとおりです。事故の前、TBSには(反原発の)原子力資料情報室の専門家を招く前歴がありました。TBSのディレクターに個人的なつながりがあったのです。だがいつも、バランスを取るために、いわゆる原発ムラから原発推進の人たちも招いていたのです。フジ・テレビは危機のあと、常に反原発派であった藤田祐幸という人を招きましたが、一度だけのことです。311日の午後、彼はメルトダウンの可能性があるといいました。彼は二度とスクリーンに登場するのを許されませんでした。
311日後の週に、政府と日本のメディアにはパニックを引き起こすことを避ける責務があったと信じる外国人記者がいます。おそらく外国メディアにとって、時にセンセーショナルに報道しても構わないのでしょうが、地元の報道人には非常に重大な責任がありました。これについて、あなたの見解はいかがですか?
伊藤:福島第一1号炉が爆発したとき、福島中央テレビのカメラがその映像を捉え、2分後に放映しました。内部で起こっていることについて、記者たちは自身が恐れていましたが、テレビ局の首脳がこれを報道することを差し止められなかったのも致しかたなかったのです。言い換えれば、報道人が情報を持っていて、それが本当になにを意味するか知らない場合でさえ、それを報道することが義務なのです。彼らは風が吹く方向も伝えました。福島の住民はこのビデオ映像を耳にしてパニックになったでしょうか? 否です。福島中央テレビは日本の大手放送ネットワークにこの爆発を迅速に報道するように繰り返し依頼しました。だが、日本テレビ、フジ・テレビ、NHKが報道するまで1時間10分かかりました。それに、これらのネットはそれを同時に報じたのです。
それらは完全に別々の放送会社なのですが、それでいて同時に報道するなんてことをどのようにしてやったのでしょうか?
伊藤:わたしは偶然の一致だとは考えていませんが、それを証明することもできません。福島では、すべてのネットワークが地元の放送をモニタリングしていましたので、爆発報道を知っていたはずです。なにを報道するかについて、なんらかの類いの協定があったのでしょう。最終的にテレビ3局が同時に映像を放送したとき、(爆発について)ほとんど同じ説明をしました。つまり、スクイブ弁から気体を人工的に放出した結果だというのです。
上杉:ニューヨーク・タイムズが流した1号炉爆発の画像がありましたし、BBCにももう一つありました。爆発後1時間10分たって、映像は日本から突然に消えてしまいましたので、日本人は1年間にもわたり主流メディアで映像にアクセスすることができなくなりました。それでもYouTubeで見ることができましたが、テレビでは見ることができませんでした。
わたしは、放映権を買い取ったヨーロッパ放送連合を頼りにしました。人道的見地から住民には情報を享有すべきであり、映像を見たうえで何をすべきか自ら決定すべきであるとわたしは主張しました。それが報道されたとたん、日本の民間放送各社はわたしのホームページから映像を削除するように要求しました。それは日本でタブーになりました。
伊藤:本当のことをいえば、政府とメディアはじっさいにパニックを引き起こした元凶でした。このような危機のさい、政府やメディアは単一口調で揃えなければならないと感じます。だが、政府とメディアが一緒になって、「すべて安全です」とアピールすれば、かえって逆効果になり、国民を心配させます。政府は別の見方の情報も伝えるべきであり、不透明なものごとも数多くあると認めるべきです。核危機のさいに最大の問題だったのは、その種の情報環境を欠いていたことです。
上杉:パニックになっていたのは一般住民ではなくて、政府、通産省、マスメディアでした。メディアがいろいろな見解を受容していれば、健全なのです。さまざまな見方があれば、考えなければならないし、パニックを避けることができます。だからこそ、わたしは危機のさい、首相官邸に電話をかけ、外国人記者やインターネットと雑誌のフリーランス記者を受け入れてほしいと頼んだのです。
伊藤:315日か16日頃ですが、中央政府が福島市に40万の住民を避難させたいかと直接たずねました。福島市は拒否しましたが、メディアはパニックを起こすと恐れて、これを報道しないと決定しました。政府は避難区域を福島市の範囲まで拡大することを一度は考慮しました。その後、20ミリシーベルト問題が持ち上がった(政府が学校内の年間「受忍」放射線量限度を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げた)とき、絶対間違いなく福島市と郡山市から連れ出すべきだった幼い子どもたちを避難させませんでした。
日本の主流メディア報道人には20km避難区域で起こっていることについてスクープの欲求プレッシャーがあったはずなのに、それにもかかわらず20キロ圏外に留まりましたが、これについて、どのようにお考えですか?
伊藤:かつてわたしの友人が「日本のジャーナリズムは同調ジャーナリズムである」といいました。テレビ各局は避難区域近くに留まっても安全だと一般人に説きながら、自社の社員には原発から30kmの圏内で報道するのは危険なので禁止されていると言い渡しているのです。ほんとうにダブル・スタンダードですが、従業員はルールに逆らえません。
上杉:記者クラブや政府の連中は、「妻の実家は九州なので、帰らせた」とか、「子どもをシンガポールに行かせる」などと明け透けにいっていますよ。315日からこんなことをしているのです。でも、伊藤さんがおっしゃったとおり、テレビ、それに新聞では、すべて安全といっているのです。政治家でさえ、家族を日本から送り出したのが何人かいました。
振り返ってみて、なにが日本メディアと外国メディアが犯した基本的な間違いだったのでしょうか?
伊藤:英国紙ザ・サンは、非常にセンセーショナル、不愉快な記事を掲載しました。外国紙の一部は危機を誇張しました。わたしたちは違いに注目しなければなりません。たとえば、ドイツのテレビと日本のテレビには甚大な違いがありました。日本でテレビに登場する科学者らは大学で仕事していて、当然にも政府に近いのです。ドイツでは、ますます多くの科学者たちが自主的な科学知識を収集し、反原子力運動や緑の党に関与しています。
日本では、組織が過大な権力を握り、3.11のあと、これがなお悪化しています。主流メディア内部に言論の自由はありません。はっきり発言したいと願い、進行中の事実を知っている人びとは大勢いますが、監視されています。
上杉:核にまつわるセンセーショナルな報道は、外国メディアを記者会見の場に受け入れない、またじゅうぶん正確に伝えない日本政府と記者クラブの落ち度であるとわたしは考えます。外国メディアは、さまざま異なった発言を伝えたという意味で、日本のメディアよりもよくやったと思います。たとえば、ドイツとノルウエーのメディアは、いち早く放射線分布図を伝えました。ワシントン・ポスト紙は真っ先にメルトダウン解説図を掲載しましたし、外国人ジャーナリストたちは避難区域圏内で報道しました。
伊藤:このような国境を超える危機のさい、なにをなすべきかについて、科学者らにさえ、さまざま非常に異なった見解があります。メディアは科学的データを国民と政府に提供し、もっと有効な決定をするのに役立つべきです。だが、メディアは通信技術を使いこなす技能をなにひとつ学ばず、醜悪な過ぎ去った時代とまったく変わらず、政府が安全だといえば、安全だと単純に請け合ったのです。
上杉:わたしたちは真実に対して謙虚であり、どのメディアが間違っていたか、またどのメディアが正しかったか、認めなくてはなりませんし、そうでなければ、間違いをしでかす、間違いを認めない、間違いを隠すといったふうに、政府と同じことをジャーナリストがしてしまうだけで終わってしまいます。システムを改善しなければ、なにも変わらないと思います。結局、真実を告げられない人びとは、メディアを信頼しなくなるでしょう。わたしたちは適正な事故究明を実行し、わたしたち自身の間違いに正面から向き合わなくてはなりません。
[転載・引用の場合、出典を次のように表記してください:
David McNeill, "Truth to Power:Japanese Media, International Media and 3.11 Reportage," The Asia-Pacific Journal, Vol 11, Issue 10, No. 3, March 11, 2012."
David McNeill
デヴィッド・マクニールは、TheChronicle of Higher Education(高等教育クロニクル)日本特派員であり、The Independent(インディペンデント紙)およびThe Irish Times(アイリッシュ・タイムズ紙)にも寄稿。これら3紙のすべてに核災害記事を書き、2011311日からこのかた、福島訪問は10回におよび、災害に関する書籍“Strong in the Rain”(『雨にも負けず』Lucy Birmingham[ルーシー・バーミンガム]と共著)を執筆。Asia-Pacific Journal(アジア太平洋ジャーナル)世話人。
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