2014年4月15日火曜日

『#救援』第540号:山田塊也『増補改訂版:アイ・アム・ヒッピー~日本のヒッピー・ムーブメント60―90』に寄せて

救援連絡センター:ニュースレター『救援』
P. 8 下段


『脱』体制から『反』体制へ
山田塊也著『増補改訂版:アイ・アム・ヒッピー~日本のヒッピー・ムーブメント6090』に寄せて
井上利男(福島県郡山市)
われわれは、知られざる新しい文明の野蛮人である
これは、一九六〇年ごろ、新宿のクラシック喫茶「風月堂」にたむろする若者たちにアレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダー、ジャック・ケロワックらのビートニック運動の思潮が伝わり、それがやがて日本のヒッピー・ムーブメントのさきがけとなった「部族」運動に結実したころ、彼らが好んで口にした一種のスローガンである。
国分寺「エメラルド色のそよ風族」、長野県富士見町「雷赤烏族」、トカラ列島諏訪之瀬島「ガジュマルの夢族」など、都会の片隅や人里離れた山地、絶海の孤島にコミューンを築いた彼らの運動は、学校や職場からのドロップ・アウトを推奨し、原子力発電開発、新幹線開通、東京オリンピックや大阪万博の開催などに象徴される高度経済成長時代の物質文明に対するアンチ・テーゼであり、徹底した「脱」体制ムーブメントだった。
ところが、一九七〇年代、国際化が叫ばれだしたころから、雲行きが怪しくなった。日本全国で反公害住民闘争が燃え上がり、槍玉に挙げられた企業が軒並みに海外進出、すなわち「公害輸出」を謀った。沖縄施政権の返還に前後して、自衛隊の軍事基地、エネルギー産業の石油基地、観光産業のリゾート基地が三位一体となって琉球弧に南進した。七二年にヤマハが「南西諸島開発計画」を決定したのも、その一例である。
「ガジュマルの夢族」がヒッピーの世界的なガイドブック『ホール・アース・カタログ』で紹介されたことから、諏訪之瀬島は世界を放浪するヒッピーの聖地とされていたが、ヤマハはこの活火山島を海洋レジャー基地に改変すると打ち上げたのだ。多国籍企業のグローバリゼーションは、畢竟、この地球全体を開発・搾取するところまで行き着くことだろう。
もはや「脱」体制にとどまっていれば、「知られざる新しい文明」を試みる余地は残らないことになる。部族運動が、ヤマハ・ボイコットに踏み切るのも時代の要請だった。私事ながら、筆者にも「ガジュマルの夢」体験があり、改めてドロップ・アウトし、運動の渦中に身を投じることになった。当時、京都で出会ったカナダ人ヒッピーが「三菱には爆弾攻撃だとすれば、ヤマハにはロックで対抗ですね」と語っていた。
一度、反体制に踏み入った意識は果てしなく拡大し、琉球弧全域の乱開発に目を向けることになった。やがて、お祭りポン太こと山田塊也は、東亜燃料の石油基地計画で揺れる奄美大島宇検村に入植し、コミューン「無我利道場」を起ち上げ、生活ぐるみの反開発闘争を試みることになった。そして、奄美大島のすぐ南に浮上したのが「MA-T計画」、徳之島・使用済み核燃料再処理工場計画である。
ポンいわく、「ピアノのヤマハを叩いていたら、プルトニウムまで飛び出した」。
ポンはフクシマ核惨事の前年、奇しくもチェルノブイリ祈念日の四月二六日にあっけなく物故してしまった。
ある意味、ヤポネシア列島総体が「目に見えない」放射能で汚染され、政治的にそれと「見させない」戒厳令で覆われ、社会・心理的に現実を「見たくない」アパシーに陥りつくそうとしているいま、ポンはなにを祭り、なにを語るだろうか。
目次:
プロローグ:ヒッピーとは何者か?
1.
ヒッピー前史“新宿ビートニク”
2.
ヒッピーコミューン運動“部族
3.
南の島のコミューン“無我利道場
4.
反日思想とインド放浪
5.
まつろわぬ山の民からの逆襲
エピローグ:結び合う心 地球療法
201310月/A5363頁/¥2,500] 著=山田塊也 発行=森と出版




【リンク】

Books 新刊紹介
『アイ・アム・ヒッピー』(増補改訂版)
日本のヒッピー・ムーブメント史 ‘60 -‘90
アイ・アム・ヒッピー再発行に寄せて  宇摩
ポンの『アイ・アム・ヒッピー』が又この世に出版されるには、十分訳がある。
                   田村正信(阿気) 長野




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