2015年8月7日金曜日

ロシア・ツデー【ビデオ】ヒロシマ・ナガサキ原爆投下70周年によせて…(日本語テキスト)

2017年8月31日更新:


ヒロシマ原爆投下70周年によせて…




RT 


2015/08/06 に公開
日本は本日の悲劇的な記念日を迎えた――70年前、米軍機がヒロシマに原子爆弾を投下したのだ。爆心近くの市の平和公園で執りおこなわれた厳粛な式典に何万もの人びとが参加し、1分間の黙祷を捧げた。ヒロシマ、次いでナガサキに落とされた原爆は日本を第二次世界大戦における降伏に誘ったが、何万人もの人命を奪った。
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カテゴリ:ニュースと政治 ライセンス:標準のYouTubeライセンス

トランスクリプト
0:00
キャスター:日本は70年前の今日、米軍主体の連合軍によって原子爆弾が広島に投下された悲劇に見舞われましたが、その記念日を迎えました。数万の人びとが爆心地の近くの平和公園で執りおこなわれた厳粛な記念式典に参加し、1分の黙祷を捧げました。広島と長崎に対する原爆投下は、日本を降伏に追いこみましたが、何万人もの人命を奪いました。

0:36
広島に対する核攻撃は、何十万もの人びとをも傷つけ、後の世代の人たちも出生異常で苦しみました。わたしたちは、おひとりの被爆者と攻撃を命じた米国大統領の孫に取材しました。映像の一部は見苦しいかもしれませんのでお断りしておきます。

0:56
被爆者:わたしは16歳でした。爆心地から約2キロですね。2キロのところを自転車で走っていて、後ろから灼かれました。わたしは被曝してから37か月、病院で生活しました。19か月はうつぶせのままで過ごしました。

(注:本稿末尾の付録ビデオ「平和への誓い」参照のこと)

1:22
背中が灼けて、腐って流れてしまって、骨まで灼けて、骨まで腐ってしまって、骨が変形して、心臓と肺のなかへめりこんでいて、いまでも昼夜となく苦しんでいます。

1:39
トルーマン大統領の孫:わたしはたいがいのアメリカ人と同じように、あのころに生まれて、戦後に成長しました。原爆投下は素晴らしいできごとでした。爆弾は両陣営の数十万の人命を救いました。わたしの祖父は、原爆投下決定の理由は戦争を終わらせ、日本本土に侵攻していれば、失われたであろう主としてアメリカ人の命を救うことだったと、いつもわたしに言っていました。

2:00
ですから、ある日、人びとが恐ろしい形で命を落とした現実に直面するまで、あまり考えてもいませんでした。いまの時点で、米国が日本に全面的に謝罪するとは思えませんし、逆にいえば、米国が日本にパールハーバーの謝罪を要請したのか、わたしは知りません。

2:25
キャスター:わたしたちのドキュメンタリー番組『アトミック・メッセージ』は終日にわたってヒロシマとナガサキの被爆者のインタビューをお送りすることになっています。

2:35
さて、ピュー・リサーチが最近実施した世論調査によれば、米国人回答者の半分以上が原爆投下は「正当化される」と信じており、ご覧のように、34パーセントだけが「正当化されない」と答えています。ワシントンDCで取材記者が世論に探りを入れています。

2:48
記者:あなたは、米国がヒロシマとナガサキの原爆投下について謝罪すべきだとお考えですか?
市民:なぜ聞いているのだ。
記者:記念日ですので。
市民:謝罪すべきだとは思いません。
記者:なぜですか。
市民:わが国は覇権を示さなければなりません。

3:13
市民:戦争はもう済んだ過去の話だと思いますし、いま米日はほんとうに素晴らしい関係になっていてうれしいです。

3:20
記者:原爆について学校でどんなことを教えられましたか?
若者:なんにも教えられていません。
記者:ヒロシマとナガサキに落とされた原爆について、なにもですか?
若者:いいえ、なにもです。
記者:あなたは何歳ですか?
若者:17歳です。

3:35
市民:それは正しかったと思いませんが、必要だったと思います。戦争を終わらせるということではなくて、爆弾がどんなことをするか、じっさいに見るためです。
記者:爆弾を試験するため、意図的に14万の人びとを殺す必要があったとお考えですか?
市民:ウ~ン、その後、もうひとつの投下…

4:03
キャスター:わたしたちはロバート・ジェイコブさんに取材しました。広島平和研究所(広島市立大学)の歴史学者です。彼は、アメリカ人が日本に対する核攻撃が必要だったと一般的に感じている理由を説明します。

4:14
ロバート・ジェイコブズ:わたしたちアメリカ人は、第二次世界大戦を最終的な決戦の時と見て、米国のわれわれは疑いの余地なく善の側にいたと考える傾向があり、あの戦争中のわが国の最悪の振る舞いでさえ、正当化されるのは当然至極であるとしか考えられないのです。

4:30
典型的なアメリカの学校では、爆撃が…核攻撃が戦争を終わらせ、そのおかげで、日本に侵攻する必要がなくなり、人命を救ったと教えられています。

4:43
米国では、ヒロシマとナガサキに対する核テロ攻撃を民間人に対する大量破壊兵器の使用として見るのが非常に困難です。だから、ヒロシマの軍事的価値が高かったとか、大量破壊兵器の使用が戦略的に倫理的だったとか、何度も何度も説いて聞かせることが非常に重要なのです。

5:08
西側にとって、特に米国にとって、民間人に対して大量破壊兵器を使用したことで作ってしまった前例がじっさいになにを意味するのか、批判的に見ることが非常にむつかしいのです。


【ロバート・ジェイコブズ関連記事】

20131022

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20141226

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ロバート・ジェイコブス氏のツイッターID: Bo Jacobs @bojacobs

【付録】

【更新:8月10日】


20150809
 70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。
 地獄はその後も続きました。火傷(やけど)や怪我(けが)もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。
 70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩きつけられました。
 しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。
 それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7カ月の病院生活、その内の1年9カ月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。
 そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。
 かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。
 戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。
 核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。
 私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。
平成27年8月9日

被爆者代表 谷口稜曄(すみてる)

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